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西福寺(さいふくじ)は、広島県福山市新市町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は功円山。室町時代から現在まで続く。1525年創設(前身の実相寺含む)。現在の当主は27代目住職山名孝彰(やまなこうしょう)。本尊の阿弥陀如来像は室町時代の木仏である〔2013年8月鑑定(住職談)〕。 == 歴代住職 == 初代〜7代は毛利家〔姓不明。ただし西福寺文書の内容から推測すれば、姓は毛利の可能性が高い(住職談、2014年1月拝聴)。〕。寺院合併により第8代目から山名姓となる。 * 初代 祐良 :毛利元弘四男就勝の子である祐良が、1523年8月父就勝自害により、元綱元就の嫌悪を危惧し、出家し金丸村(現:新市町金丸)に、西福寺の前身寺である大江山実相寺を建立する。1571年没。 * 2代 祐実 :幼名は徳麿。母は渡辺太郎左衛門尉貞時の末娘。1558年没。 * 3代 祐秀 :幼名は式部卿。祐実の弟。兄の早世により法燈継承。1571年没。 * 4代 祐光 :1605年没。 * 5代 祐元 :1594年没。 * 6代 祐和 :祐元の弟。1617年没。 * 7代 祐清 :幼名は民部卿。山名祐念を養子に迎える。1641年没。 * 8代 山名祐念 :幼名は太郎丸。山名但馬守の孫であり宮内卿の子。関ヶ原の合戦で毛利輝元に随従して敗北した後、備後国御調郡大多城に没落する。後、剃髪して一寺を建立し、功円山報徳院西福寺と称す。1626年、芦品郡木野山村角芽谷権現(現:府中市木野山町角目)へ引越す。1635年、祐念は実相寺第7代目祐清の養子となる。祐清死後、1648年に実相寺、西福寺の両寺協議により、寺号を西福寺とし、苗字は山名氏、家紋等は毛利氏に準ずることとした。これにより、当山は西福寺を吸収合併し、西福寺と改称した。祐念1672年没。 * 9代 山名祐正 :祐念の長男。1718年没。 * 10代 山名祐雪 :祐正の長男。1705年より本堂再建に着手、1707年完成。 * 11代 山名祐閑 :祐雪の長男。1732年没。 * 12代 山名祐光 :祐閑の長男。1744年没。 * 13代 山名祐会 :祐光の次男。1772年没。 * 14代 山名祐泰 :祐会の長男。1772年、18歳で夭折。 * 15代 山名雲晴 :祐会の次男。祐泰の弟。1808年没。 * 16代 山名祐甫 :常村(現:新市町常)光明寺より来住職。1837年没。 * 17代 山名祐海 :雲晴の長男。祐甫の義弟。1879年没。 * 18代 山名千界 :生没年不明。1875年生存記録あり。 *19.20.21代 〔19~21代住職記録は現在捜索中。『西福寺文書』には18代目までの記載のみとなっている(22代以後は西福寺墓地にて確認)。〕 * 22代 山名祐諦 :祐海の長男。1924年没。 * 23代 山名祐心 :祐海の次男。祐諦の弟。1932年没。 * 24代 山名哲昭 :祐心の長男。1886年生まれ。1958年没。 * 25代 山名哲晋 :祐心の次男。哲昭の弟。1892年生まれ。1960年没。 * 26代 山名浩明 :1933年、広島県呉市音戸町の専教寺の三男として生まれる。山名哲晋の長女千香子との婚姻により西福寺に養子に入る。旧名吉川浩明(きっかわひろあき)。本名山名浩明(やまなこうめい)。1958年から2003年まで住職。2004年没。 * 第27代目 山名孝彰 :1960年、山名浩明の長男として生まれる。1984年より副住職。2003年より住職。坊守は寂静寺13代住職の長女。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西福寺 (福山市新市町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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